TOP >> 活動報告・案内 >> 公開行事 >> 2011年3月13日 棺を覆いて─永田洋子を送る会 報告

2011年3月13日
棺を覆いて─永田洋子を送る会 報告

東北大震災のため、参加を取り止めた人も多かったのですが、40名余の参加で開催しました。
かつての仲間、公判の各段階で関わった弁護士、さまざまな形で関わりを持った方など、計11名が故人について語り、獄中の吉野雅邦さん、瀬戸内寂聴さんのメッセージを代読しました。
最後に献花して会を終えました。

生き続けることが闘いだった─上告審を担当した秋田弁護士

 皆さんは、これ「亡くなる」とおっしゃいましたけれども、弁護士の立場から言わせていただければ、最後まで生きる努力をしたけれども、国家によって見殺しにされたと思っております。多くの方は、それが当たり前だと思われるかもしれませんけれども、私は永田さんが生き続けようと思ったという努力を非常に買っています。
 永田さんは、自分が最後まで皆さんに許してもらえるとか、そういう気持ちは持っていなかったと思います。最後の最後まで自分が何か一言言えば、恐らく自分がそういう気持ちを持っていなくても、皆さんから糾弾されるだろうと、そういう気持ちをずっと持っていました。だから、生きていて楽しいはずはないと思います。生きていて、これからいいことが起こるという希望もなかったと思います。それでも頑張って生きるために努力してくれました。国との闘いという部分もありました。多分それが彼女にとっては一つの闘い方だったんだろうと思います。

検事以上に糾弾的だったことも─控訴審を担当した大谷弁護士

 やはり率直に言って、私自身が何で? と、何であんなことになっちゃったの? という気持ちが、弁護人としてもありましたし、それ以上に、やはりあの当時、一緒に、何かをやろうとした者としてもある種許しがたい気持ちもあって、私はどっちかっていうと検事以上に彼女に糾弾的であったのじゃあなかろうか、という風に思っています。特に、接見室で事実を聞こうとする時に、どうしても……ああそうか、山本さんが「自己承認欲求が強い」って表現なさいましたけど、なるほど、今だったらそういう言葉で理解できたのかもしれないけど、何で? という風な形で、どうしても聞きたい時に、何か弁解がましく言葉を連ねてしまうことに関して、そんなことで認める……納得できるわけがない、ということで、かなり接見室で彼女を問い詰めたり、というようなこともありました。
 でも、本当に今でも思うんですけれども……接見が長くなるんですよね。そうすると、彼女が、本当に、事実関係を語ろうとすると、あの、嘔吐するんですよね。で、私まだその頃は病気だったってことを知らなかった。もどすほどに、苦しい思いをしている被告人に対して、弁護人としてこれ以上事実を聞いてはいけないのではないかという風な思いもありましたけども、でも弁護人として聞かなければいけないこと、そしてもっと……やっぱりあの当時時代を担った者として、もっともっと明らかにしてもらいたいこと、っていう形で、色々事実を聞こうとするとどうしても遅くなる。
 ほんとに、宵闇……もう接見室が薄暗くなって、昔の旧庁舎……旧庁舎の暗い女区の中でですね、接見室……みなさん経験おありになるかどうかわかりませんけれども、あのアクリル板を通して彼女の顔を見る時に、アクリル板自身に私自身の顔が映る。それはね、ちょっと恐ろしい。私自身の顔と彼女の顔が二重映しになる中で、私は、それでも事実を聞かせろという形で迫った時に、ああ、これはもう弁護人の枠を超えたかな、っていう風に思ったこともありましたけど、でもそこに映る永田さんの顔と私の顔は、やっぱり、ある種同じだったから私自身を責めてるのかな、っていう風に思って、非常に複雑な気持ちを抱えながら控訴審初期の段階はいました。



参加の呼びかけ

 死刑判決を受け、拘置されていた永田さんが病死しました。ここ5年ほどはほとんど意識のない寝たきりの状態だったということです。
 あの悲惨な連合赤軍の破局に対して森恒夫とともに責任を負う永田洋子の死に直面して、私たちは複雑な感慨を禁じえません。連赤指導部が仲間たちに対して行ったことを思うとき、決して許せないという感情が湧きあがってきます。
 遺族の人たちの感情を想像するとき、私たちは深く頭を垂れてその深い悲しみと怒りに想いをはせるしかありません。
 しかし、獄中で40年近い病苦の日々を過ごしたあとで、永田洋子は私たちの前に戻ってきました。荼毘に付され、一握りの白い骨と灰になりました。誰にでも平等に訪れる死が、永田洋子を仲間たちの待つ冥界へ連れ去りました。
 連赤指導部は大きな過ちを犯しましたが、しかし、同じ組織に属し、同じ路線を掲げていた私たちも彼らの過ちと無縁であることはできません。
永田洋子は亡くなりましたが、連合赤軍問題は依然として深い闇と多くの疑問をはらんだまま、私たちの前に横たわっています。
 「棺を覆いて事定まる」といわれます。私たちはその死に直面して、永田洋子について少し客観的な視点から眺めることができるようになったのではないかと思います。
 永田洋子を送るに際して、故人と縁のあった人たちの話に、耳を傾けたいと思います。
 ささやかな会をもち、永田洋子と若くして亡くなった仲間たちに、花を手向けたいと思います。

  2011年3月2日
                                            連合赤軍の全体像を残す会

 どなたでも参加できます。

主催:全体像を残す会
日時:3月13日 午後2時から4時
場所:ライフコミュニティ西馬込
 都営地下鉄浅草線「西馬込駅」下車(西口出口)徒歩約1分
会費:花代として1000円をお持ちください。

※二次会
終了後、希望者による二次会を行います。
当日、遅れて来られる方も参加できます。場所などは会のメンバーに電話してください。

 メディアの取材は可。事前に下の「お問合せ」より、氏名、所属、Eメールアドレス、電話番号をお知らせください。

発言予定者
秋田一恵弁護士
植垣康博さん
前澤虎義さん
ピオ・デミリアさん
瀬戸内寂聴さん(メッセージ)
吉野雅邦さん(メッセージ) 

●募集 公式記録ビデオ、撮影者
記録のためにビデオ撮影をしますので、機材をお持ちで当日撮影していただける方を募集します。



写真は馬込伸吾さん