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証言 連合赤軍(8) 棺を覆いて

その日がやってきた。
40年あまりにわたって、獄中で病苦の日を過ごした後で、永田洋子は私たちの前に戻ってきた。荼毘に付され、一握りの白い骨と灰になった。誰にでも平等に訪れる死が、永田洋子を仲間たちの待つ冥界へ連れ去った。
「残す会」は、東日本大震災の余震の続く3月13日、永田洋子を送る会を開催した。
8号では、この会での発言を全て収録した。
─2011年11月20日発行

目次

最後の戦いを生きた永田さん──秋田一惠弁護士
せめて言葉を──植垣康博さん
責任──前澤虎義さん
初対面で感じた危うさ──大津卓滋弁護士
控訴審判決の日に着た白いツーピース──藤森研さん
自らに問うべき、連合赤軍以降の責任──鈴木邦男さん
いまだ明らかにされていない革左系の歴史──山中幸男さん
お小言の一つでも欲しかった──山本直樹さん
どんな革命でも、一人一人愛を語ったり、セックスがあった
     ──高須基仁さん
大いなる悔恨とともに……──大谷恭子弁護士
坂口に託された総括──中村寛三さん
獄中メッセージ──吉野雅邦さん
永田洋子さんの病死──瀬戸内寂聴さん
「連合赤軍事件の全体像を残す会」のあいさつ

永田洋子さんの病死──瀬戸内寂聴さんのメッセージ

 永田さんと文通ができなくなって、何年になったのでしょう。いつでも正月過ぎから二月半ばまで、年々にその季節が来ると、私は洋子さんを強く想い出していました。その季節になると、必ず洋子さんは獄中で体調を崩しました。私はそれを、洋子さんの意識の外で、体が、あの地獄の月日を想い出していて、全身が痛むのだと解釈していました。洋子さんはそれを認めませんでしたが、そうとしか考えられない現象でした。
 洋子さんと文通が始って、私は彼女の信じられないほど無邪気な面にびっくりしました。
 チェーホフの「可愛い女」のようなところがあり、次々好きな人ができ、たちまちその思想に染ってゆくのでした。私はどうしても世間の人のように洋子さんを悪魔とか鬼とか呼べませんでした。私が若ければ、同じことをし、同じまちがいをしていたかもしれないと思い、他人事と見逃せませんでした。でも私は洋子さんの晩年に何の扶けもしていません。Iさんが獄中の洋子さんと結婚してくれ、ずっと面倒を見続けてくれたと聞いています。Iさんこそ生き仏だと私は遠くから手を合わせていました。
 最后の数年は、もう人の分別もつかず、何もわからなかったと弁護士さんから聞いて、まだ浄土へ渡ることは許されないのかと胸がしめつけられていました。
 もう意識もなく自分では歩けない人を、どうやって死刑台にのせられましょう。
 洋子さんに病死が与えられたことは、せめてもの救いでした。もう充分、充分、この世で地獄を味わい、苦しみました。
 洋子さんは許されて、今はかつての同志に迎えられていることと信じます。
 私も数え卒寿です。ほどなく、あちらへ渡るでしょう。
 あちらで元気になった洋子さんに迎えられて、歓迎会をしてもらえることを信じています。
 洋子さん、長い間御苦労さまでした。
 あなたを忘れないこんなにも多くの人たちが集ってくれて嬉しいですね。私は昨年十月末から、あしなえになっていけません。寂庵で祈っています。
 三月十三日
                                瀬戸内 寂聴